鶴城組

三代目鶴城組(つるぎぐみ)は、長野県上田市中央4-10-13信州会館(石澤組本部)に本部を置く親睦会で、任侠山口組の二次団体。
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◆略歴
初代組長鶴城郁夫は、大阪の愚連隊明友会の出身で、太田興業二代目若頭。鶴城郁夫の不慮の死去をうけて、三代目若頭となったのは、太田塾塾長秋良東力
1983年10月、韓国旅行から帰国し、伊丹空港で出迎えの車に乗り込んでいた侠友会会長・鶴城郁夫を、生島組組員古市 朗が銃撃し、逃走する事件が起きた。幸い、窓が防弾ガラスであったため、鶴城会長は、無事であった。しかし、1984年2月、鶴城会長は、大阪ミナミの盛り場で今度は、生島組組長生島久次の舎弟に狙撃されて重傷を負い、その後、その傷が元で亡くなった。
1996年8月26日、大阪市北区のJR大阪駅前第三ビル前の路上で、生島久次生島組組長が、五代目山口組・三代目山健組太田興業・二代目侠友会若頭補佐・三代目鶴城組組長・武田怜将と同会組員坂本和久の二人に銃撃された。生島元組長のボディーガードをしていた古市 朗生島組組員が応戦。その結果、生島元組長と坂本和久組員の二人が亡くなった。武田怜将は、逮捕された際、「鶴城会長の恨みを晴らして男になりたかった」と供述した。
二代目組長鶴城丈二は、太田興業舎弟から三代目山健組直参に昇格。三代目山健組若中・東京責任者であった。
2002年11月25日、東京都中央区のJR東京駅八重洲口富士屋ホテル前の路上で、五代目山口組・二代目佐藤組舎弟・六甲連合会長・亀谷直人は、五代目山口組・三代目山健組若中兼東京責任者・侠友会会長・鶴城丈二と話し合いをしていた。その後、二人で鶴城二代目会長のボディガード高貫賢一が運転する車の後部座席に左右に分かれて乗り込もうとしたところ、亀谷が突如、鶴城二代目会長に向かって発砲し、白昼、射殺した。運転手であった高貫は、車外に出て、三発の銃弾を体に受けながらも亀谷を組み伏せ、駆け付けた警視庁の捜査員には、抵抗することもなく、亀谷は、その場で現行犯逮捕となった。亀谷は、長年、生島久次生島組組長の出身母体であった菅谷組において、菅谷政雄菅谷組組長の組長付をしており、ボディガードと運転手を務めていた。
三代目組長武田怜将は、邦道連合副会長から任侠山口組直参に昇格。

◆鶴城組系譜
初 代 - 鶴城郁夫太田興業若頭)
二代目 - 鶴城丈二(三代目山健組若中・東京責任者)
三代目 - 武田怜将・本名 武田信夫

◆三代目鶴城組組織図
組 長 - 武田怜将任侠山口組関東統括・東日本ブロック3班班長 四代目臥龍会会長代行)・本名 武田信夫

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  • 最終更新:2018-09-25 03:03:33

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